醜いアヒルの子

何かが、おかしい。


何度、繰り返し、思った事だろう。


1番、最初に、こう思った記憶は7才の時だ。

運動会で、みんなでお遊戯をする。

それぞれ、画用紙に自分で描いた白鳥を、頭にかぶる。

みんなが、白で白鳥を描いているのに、私だけ白鳥をオレンジ色で塗りつぶしている。

「醜いアヒルの子!」

クラスメートから、はやしたてられて、私は恥ずかしく感じていた。

 


なんで、みんな、白鳥を白で描いているんだろう。

なんで、私は、皆と同じように出来ないんだろう。

 

普通ではないという激しい劣等感と、皆に対する疑念。


成長とともに、人と同じフリをする事を覚えたし、相手が言って欲しいと思っている事を言えるようにもなった。

だから、私は、"醜いアヒルの子"である事を隠す事が出来ている。


そもそも、"醜い"って、なんだろう。


他人と違う事かな。


たくさんの人達の平均値から、外れたら、"醜い"のかな。


そういえば、"美しい"も異形だよな。


平均値から外れているから、醜い人や美しい人は、ドラマが生まれるのかもしれない。


だけど、その平均値の人達の中にも、また、ヒエラルキーがあって…


そう考えると、"人と同じ""平均値""常識"なんかの方が、幻想なのかもしれない。


すべての人達は、何かしらの異形。

個性の持ち主。


その事に気づかせないようにしている、世論、常識、教育。


実は、この世界に同じ人なんていない。

個性を抑圧された人間が、たくさんいるだけだ。


この事に気づけば、今、感じている息苦しさから解放されて、大きく深呼吸できるかもしれない。